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  • Jan. 5, 2017
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漫画とデザインの接点は努力と友情の世界を捨ててから始まった(C1)

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少なくとも僕らの周りの同世代の少年漫画誌と言えば圧倒的に当時170円の少年ジャンプだった。僕もご多分に漏れずその流れにどっぷりとハマり、あそこの店は発売日の前日に店頭に並ぶだの、誰々の家は本屋だからそれよりも先に読めるだろうだの、あの頃の少年の情報網を駆使して誰よりも早く読むことを競っていたのだ。そうして絵を描くことが好きだった少年は中学生に上がる頃には漫画という表現方法そのものに自然と憧れを抱くようになったわけである。

さて、自分で漫画を描いてみたいというようになると、そもそも漫画とはどうやって描くのかという問題にまずぶち当たる。原稿用紙とペンがあっても漫画の描き方とはどうすれば良いのか具体的にはまったく分からない。適当にコマを割ってキャラクターを描いたとしても、(絵が不味いとかお話が陳腐とかはさておき)どうしても自分が思い描くようなジャンプ的な漫画になってくれなかった。ある時ついに近所の本屋で「漫画の描き方(入門編)」みたいな本を見つけ出し、これだと勇んで読んでみれば漫画にはジャンプとジャンプ以外があり、漫画というものを体系立てて理解するためには、まずは手塚治虫の漫画を読まねばならないと悟るのだった。ここに至って初めて僕は「漫画の神様」の漫画を読むこととなり、次いでトキワ荘の諸先生方へと派生し、少女漫画も読み初めて、様々な「漫画系譜」をなぞることとなった。そして、あれほどあったジャンプ漫画に近付きたいという意欲や熱量は一気に冷めてしまい、「ジャンプかさもなくばジャンプ以外か」のメイン枠だった仲間内からあっさり離れてオルタナティブ枠に転向することとなったわけである。

そんな漫画描きを意識しだしたあの頃、決定的に自分の主とする絵への意識とやらを変えた一冊の名著がある。
それは士郎正宗の「アップルシード」だ。

1985年から89年まで刊行された今や伝説と言ってもいい漫画家士郎正宗の商業デビュー作。この単行本を初めて見た時、それまでゆっくりと変わりつつあった漫画に対する価値観を一気に変えるきっかけとなった。第一巻「プロメテウスの挑戦」の表紙、裏表紙に渡って描かれている崩壊した建物の緻密さは衝撃を覚えたものだ。内容に至っては常人には理解し難い専門用語の羅列に難解な場面展開等、この漫画に対する初見の記憶は「何だかよく分からんが凄過ぎる」という言わば「絶句の記憶」である。

こうした自分にとっては劇的過ぎるアップルシードショック以降、自分の中で「画」とは「緻密さ」や「リアリズム」を描写することと同義になった。一方で漫画のキャラクターは抽象化され記号化されたシンボルの塊なので、その辺りのアンバランスさ加減が僕が好きな「漫画絵」の軸になっているのかもしれない。これは後にデザインを志すようになってからも、抜けきらない衝撃として未だ残っているように感じている。

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  • Jan. 5, 2017
  • © Suzuki Takeya