Auto Load
  • 1
  • Oct. 4, 2016
  • 8stand

日記ではなく記録を残すための場所として

Article

僕が生まれた1974年(昭和49年)という年を言えば大多数の人間が長嶋茂雄の現役引退を挙げるのだろう。大衆娯楽と言えばプロ野球の、そのプロ野球と言えば巨人という大多数の錦の御旗が永久に不滅になった年なのだから、致し方ないといえばそうなのかもしれない。
この年、日本のGNPは戦後初のマイナス成長を記録し企業倒産数も過去最高を叩き出した。好景気も闘争も内紛も熱が冷めて、田中角栄も長嶋茂雄も舞台から立ち退き、何かが終わろうとしていたあの時代は第二次ベビーブーム世代最後の年の評価のひとつなのだと思う。

アイデンティティというものはその人間がどの時代のどの場所に生まれたかで大きく左右されるものだ。いかに平等を唄おうとも人数が多ければその不均衡さを正す事は難しい。結果何かの枠で等級が出来、それぞれの域に分けられたそれぞれの社会にハマるよう仕立て上げられていく。優等生も不良も一緒くたにカテゴライズされ、ただひとつの例外もなく社会的な合否の烙印を押されるだけ。工場のベルトコンベアの上に乗って年を経るごとに何かの部品を取り付けられ、不良品と判別されれば別のレーンに弾き出され、とにかく「製品」として出荷しなければならないというような大人の思惑にも乗っかって、僕はただただ漫然と青春を謳歌したのだった。

ただ、それだけの言葉で括ったとしても当時の自分には疑問に思うことはあっても悲観的にならずに済んだことは救いだったのかもしれない。大人になったら何々になりたいという具体的な希望を早い段階で幾つも持てていた。その結果自分なりに可能性を試しながら成長出来たことで閉塞感とは距離を置く事ができたように感じる。気付けば常に同年代からはみ出そうと試みつつ、失敗を重ねてもすぐ次の目標に切り替えるという算段で僕の少年期はあっという間に通り過ぎて行ったのだ。

ところがこんなふうに自分の出自を振り返ったところで、あの頃思い描いていた将来の夢に現在の職業であるデザイナーは含まれていなかったし、そんな職業があることすら知らなかった。ただただ闇雲にやりたいことをやり続けて、その結果今のデザイナーとしての自分があるんだとすれば、あの頃の発見や感動は決して忘れてはいけないのだと思う。このブログはもともと自分の旅行記を公開するために取得したドメインではあるが、それと同時にこれまでの発見や感動これからの展望や理想を織り交ぜて、ある種私小説として記録していきたい。その第一歩をここに記す。

  • 1
  • Oct. 4, 2016
  • © Suzuki Takeya