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  • Jan. 31, 2017
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心臓を鷲掴みにされた心臓の話(C2)

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僕には三つ歳の離れた妹がいる。
兄弟と言えばキャッチボールだのテレビゲームだのそれこそコミュニケーションだってきっとスムーズに出来たのだろうが、性別の違う兄弟姉妹だとそういうわけにもいかないものだ。特にあの幼少期のあの時代、男の子は男らしく、女の子は女らしくあるべきだという親達の主張もあったし、都心から離れているとはいえそのベッドタウンの風景はやっぱり何処か都会的で有無を言わさないように上空から何かに押さえつけられているようなそういう閉塞感もあったと思う。ただ幼い僕たちの場合は幸いなことに漫画が好きだという共通点があり、僕が「ジャンプ」を買ってくれば、妹が「りぼん」を買ってきて回し読みするようなそういう素地は既に出来上がっていた。だから僕がいざ漫画を描いてみようと意気込んだ時に漫画の入門書からの啓示を拒絶することなく少女漫画のあれこれに目を付けようと考えられたのだった。

どこかの学者が大真面目に少女漫画の社会学的な優位性を語っていたが、新しい連載が始まっては毎度のように暴力のインフレを起こしていく少年漫画の手法に幼心にも辟易していた僕は、陳腐な恋愛劇にしろ、お粗末な物理法則にしろ、それでも登場人物が人間らしい劇を演じていたことに夢中になったのだ。おそらく本質的にはきっと変わらないのだろう。掴み取るその果実が情か愛かの違いだけだ。もちろん恋愛だけが少女漫画ではないし、それを言ってしまえば少年漫画の努力と友情と何ら変わらない。そのプロセスにおいて「分かってるよね」感の作者から読者を取り囲んだ「ワールド」の濃密さにきっとやられたのだと思う。何かの縮図のような古典的な漫画本来の会話劇にあったのだ。

僕らがあの当時に読んでいた少女漫画界は後に24年組と呼ばれる大作家たちによって改革された後だった。革命後の多様性に富んだ作品の数々は集約すればそうした大作家たちによって生まれ育まれたという。僕が彼女たち大先生の作品を読み始めたのは高校生から大学生時代に掛けての90年代初頭になるのだが、どういう経緯でその本を手にしたのか今となっては詳しく思い出せない。理由のおそらくひとつには埼玉県から東京は練馬区の大泉学園に転居したこと、その練馬区大泉という場所が24年組の大泉サロンとして特に重要な場所なのだと知ったことだろう(同じ西武池袋線沿線にはトキワ荘で有名な椎名町駅がある)。

夏目漱石の「吾輩は猫である」が好きだった僕にはすんなりと読めた大島弓子の「綿の国星」はともかくとして、萩尾望都の「トーマの心臓」の初体験は何度読み返しても実体が不明瞭な難解さだった。まずこのお話を読む以前に相当な知識を必要とすることは理解出来たのだが、そんなものが単なる少女漫画として掲載されていたという事実にまず愕然としたわけだ。初出は1974年。奇しくも僕が生まれた年の週刊少女コミックで連載が開始されたらしい。なんということだ、理解出来ない、こんなものを中学生くらい女の子たちが読んでいたのかと当時の僕は純粋に驚き、同時に世の女性たちに畏敬の念すら覚えるようになってしまった。

よく言われることだが少女漫画のコマ割りは独特でまずそこに慣れないと読めないという男性読者が多い。その上心理描写としてのコマと情景としてのコマ、単なる風景も全て一緒くたになって一種夢物語のような非現実的な演出はやはり理解しづらい部分ではあるのだと思う。さらに「トーマの心臓」ではストーリーテリングにおいても「理解」しなければいけない知識が必要になる。懇切丁寧に画面を作る現在のエンタメとは対象的に前出の「ワールド」を作者と読者の緊密さという点で理解しないとまず読むことは難しい。だからこそ熱狂的なファンを掴み、今もなお伝説として語り継がれるようなそういうものになったのだと思う。
そしてひとたびその雰囲気に馴染めば、あっという間にハマってしまう引力も強い。実際「トーマの心臓」を読んでから宗教的な題材をモチーフにした作品を漫画に限らず楽しむようになった。是であれ否であれ、人間を人間として描くテーマとして宗教という概念を持ち込むことは底の深さを付けやすいとも思える。ともかくあの時必死に理解しようとした宗教について、付け焼き刃でも例えばSFを楽しみたいから最先端科学を知ろうとするのと同じ理由で、知識を得るための最初の窓口に漫画を選ぶのは至極真っ当な選択肢のひとつだと考えている。

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  • Jan. 31, 2017
  • © Suzuki Takeya