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  • Jan. 5, 2017
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幼年期の80年代初頭は光化学スモッグとドブ川に蓋(L1)

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団塊ジュニアの僕らの世代は何度かあった高度経済成長の終端に生まれたこともあり、華やかな歴史の何事もほぼ全てが一歩づつ遅れて、どんよりとした暗い反動期を過ごしてきたように思う。結局はバブルの恩恵もよく分からず、テレビで繰り返し放送される馬鹿騒ぎに、本当にそれが現実の話なのか実感する間もなくあっという間に氷河期に突入してしまったのだった。

小学生の頃、夏場にはほぼ毎日のように防災無線の巨大なスピーカーから光化学スモッグの警報が発令された。太陽が工場と排気ガスの雲で煙り、ノストラダムスの大予言を地でいくような世紀末テイストをじわりじわりと実感するにはもってこいの時代だったと言っていい。近所の川と付く水辺はほぼ全てがヘドロと腐った何かの肉で常に吐き気を催すような悪臭を放っていたし、挙句元凶を断ち切るわけでもなくコンクリート製の蓋を延々数キロに渡って被せてまさに臭いものに蓋をしてしまうような状況だった。

東京から転居した埼玉県の一画は近所の街道沿いに大きな煙突を持つ巨大な工場があって日中休む事なく真っ黒い煙を吐き続けていた。それは光化学スモッグ警報が発令されようとお構いなしだったし、一旦発令されてしまうと付近の学校では屋外での行動は禁止されてしまうので、授業中も教室から見えるあの煙突をそっと監視し、もうもうと吐き出されるあの煙がどうにかして消えないか願ったものだった。

僕らが子供の頃に見た未来予想図ではチューブ型の列車に宙に浮く自動車がまだ厳然と存在していたし、一方で21世紀など訪れない大予言の終末思想も雑誌やテレビで大々的に特集が組まれるようになっていた。この曖昧とした楽観と悲観との間の揺れは、結果として現実を際立たせ気付かせる漣のようなものになったのだと思う。あの時代のあの暗い公害の影響は、メディアの向こう側ではないこちら側の事実を感じ取ろうと必死に模索する中であるいは疑う意識を根付かせていったのかもしれない。つまり実感としてリアルでなければ信じるに足りないという認識だ。

※1967年に公害対策基本法が71年には環境庁が設置されている。基本法審議案にあった「企業の利益より国民の健康が大事」というような一文は制定の際には削られたそうだ(公害・環境問題史を学ぶ人のために[小田康徳編−世界思想社])。

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  • Jan. 5, 2017
  • © Suzuki Takeya