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  • May. 30, 2017
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夢を叶えるために死ぬほど努力する人々(L2)

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「天才」と呼ばれる人たちがいる。
大凡並外れた知恵と技術を持ち、才能に満ち溢れた人のことをそう呼ぶわけだが、彼ら彼女らの持つ「天賦の才」に文字通りの意味はない。エジソンが語ったようにそれはほぼ間違いなく「努力」によって育まれ芽吹いたものであって、常人の及びもつかないような時間と労力の末の賜物なのだと思う。しかしそうした天才が天才である所以というのは、その努力を世間一般的な努力だと本人たちが認識していないこと、集中というより熱中であること、何よりそれが唯一好きであること、これに尽きる気がしている。辛く苦しいその努力の過程においても、きっと楽しんでやっている。それをやらずにはおれないのだ。好きこそものの上手なれという言葉通り、彼ら彼女らにとって努力とは努力ではなく99%の努力ですら言い換えれば「好きなことをやり尽くす」ための方便だと言えまいか。

一方で好きであることに熱中しても天才だと呼ばれずにただひたすら底辺を這う人たちが大勢いる。
何処かで「好き」を掛け違えたか、そもそもそんなに「好き」ではなかったのか、ただ単に「好き」であることの過程だったのか。

小劇場ブームに乗ってパフォーミングアートの可能性に衝撃を覚えた10代後半の頃。机に向かわずとも何かを表現することの煌びやかな力にあっという間に魅了されてしまい、暫くの間その道に進むことを真剣に模索する時があった。演劇とは直接的な表現手法だ。舞台があって役者と観客の間の距離は無いに等しい。インターネットがなかった時代、それはテレビやラジオといったマスメディアにない密度であり、端的に言えばダイレクトに表現を享受出来る場所でもあったのだ。

初めて見た芝居というもの(演劇と芝居は違うという論議はさておき)は当時通っていた大学演劇部の公演になる。内容はベケットの「ゴドーを待ちながら」から第三舞台の「朝日のような夕日を連れて」に連なる不条理劇の焼き直しではあったのだが、その熱さにはかなり参ってしまって数日の間他人と会話することさえままならなかったことを記憶している。とにかく前述の距離感の詰め様にいいように圧倒されて瞬時に演劇という魔の世界に没頭していくこととなった。しかし世に言う演劇人とは幼い頃から淡々と培われてきたような芸術の世界でもある。既に演劇論を実践し学んできた人間に敵うべくもなく役者としての関わり方は早々に断念し、裏方として、演出や脚本家として立つことを目標にして熱中した。メッカでもある下北沢や高円寺に通い、演出家の元について自分が書いた脚本の批評を受け、同時に演出とは何かを学び人間の有り様について理解しようと試みる。公園や駅前に赴き、見知らぬ人間を観察し、それぞれの人間像やそれぞれの人生を想像する、今思えば阿保みたいな実践だが、当時はそれを当然のように受け入れていたし、造り手として当然の義務だと認識していたのだ。

それから何年かして、知り合いの演劇人が何人かの仲間を集めて自身の劇団を旗揚げすることとなり、その旗揚げに脚本家として参加することとなった。参加人数はその友人と僕を含めて6人。
そのメンバーの中に大手建設会社の営業職を辞して合流したAと10年以上夜間警備員のバイトをして日中稽古に励んできたBがいた。
Aはもともと学生時代に演劇人を志して誰でも知るような有名な劇団に所属していた。大学卒業後もバイトをしながら役者の道を突き進む算段ではあったが両親の反対にあい挫折、それでも大きな会社に入り半ば将来を約束されたようなコースに乗って順調に仕事をこなしていたそうだ。だが役者の夢を諦めきれず辞職、家族からも勘当されたような形で参加した。
Bは参加メンバーの中でも最年長の30代半ば、演劇のために大学を途中で辞め、それから収入をほぼ演劇に費やして長い長い貧乏暮らしの真っ只中にいた。

演劇は時間も金も掛かる。劇場を借りる、衣装、小道具、大道具を揃える、資料集めに奔走し、脚本を書いて、稽古もしなければならない。膨大な量のセリフを覚えなければならず、それには繰り返しの鍛錬が必要になる。無論ここにそれぞれの演劇論だの演出論だの小難しい含蓄を考慮せねばならない。従って適当にこなすことが許されなくなる。誰もが真剣に表現することを突き詰めた結果、生きることは二の次になるわけだ。表現の世界は厳しく暗く暑苦しい。今思い返せばだからこそそれぞれが生き方に対する密度を時間的にも思想的にも際限なく濃くしていったのではないかと感じている。

そんな人間が五万といる世界を想像してほしい。誰も彼も続ければ結果が出る世界ではない。どれだけそれが「好き」なのか、失敗する恐怖に打ち勝ち、「好き」の角度を計られる世界でもある。確かに運も左右するかもしれない。しかしそれは「好き」であったが故に訪れた運であることを忘れてはならないのだ。

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付記:最初に見た大学演劇部の当時の部員たちは紆余曲折を経て後にブラボーカンパニーとして独立。近年では「勇者ヨシヒコシリーズ」などでも知られる。村長や村人などでも出演しているのだがあの頃の面影は何一つ変わってない(もっともそのシリーズ以外では知らないのでどういう経緯なのかは不明)。ダンボールのスライムでさえ既視感すら覚えるようなそんな演劇部だった。

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  • May. 30, 2017
  • © Suzuki Takeya