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  • Oct. 10, 2016
  • 8stand

十年以上前のデザインを見てみる

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今回の8standリニューアルに際してかつての自前サイトのデザインを振り返ってみたのだが、たかだか十年という月日程度でもかなり嗜好が変わっていることに驚く。もともとマットな単色でデザインするというのがどうにも好みではなかったことも理由のひとつだし、なんだかいやに重いグラフィックが多用されるような時代性もあったのだろう。ご存知の通り、自然界には一色で塗りたくったような単色の物体は存在しない。原子レベルまで掘り下げなくても物体そのものの構成要素は複雑だし、光や影、その反射と屈折もある、ディスプレイ上で表現される単色でマットな配色がどうしても作り物の違和感でしか感じ取れなかったのだ(もちろん数学的な比率で構成された綺麗なグラデーションも自然界には存在しないと思うが)。

MacのOSが9から10に変わる頃にそれはピークとなり、後のフラットデザインになるまで世の中のデザイン的な流行はほぼAppleが主導しているといっても過言じゃないだろう。特にこの国の美的感覚は大衆に倣えだからどうしてもその流れは顕著になる。最近ではマテリアルデザインだとかちょっとした陰影いわゆるレイヤー感を表現するものが台頭して、多少なりとも行き過ぎたシンプルさに歯止めが掛かったようにも思えるが、シンプルであることが正義であるという風潮はAppleのそれから離れていない。もちろん、UIデザインにはユーザーの経験値が多少なりとも影響してくるし、結果として同じようなやり方や同じような見せ方に集約するのは合理的といえるのかもしれないが、おそらくこうしたAppleの影響力を受けたデジタルデザインの主流派は今後も長く続くだろう。彼らがどんなデザインを標榜し、実現するのかでインターネットの流行も大きく変わっていく。無論日本もそのグローバルな潮流から逃れることは出来ないし、無視をしたからといってその結論が果たして正しいのかどうかも論じることは難しい。つまりそうした流れに反発したい自分もいたことは確かだったのだ。

だがそんな否定的な印象もあっさり変えた、いわば転向のきっかけとなる言葉がある。それは江戸時代、日本画の一派だった土佐派、その中興の祖と呼ばれる土佐光起の「白紙も模様のうちなれば、心にてふさぐべし」だ。掛け軸なんかによくある細長い紙の隅に小さく書かれた茄子や鯉などの絵。誰でも一度は見たことがあると思う。そうした絵の余白に対する描き手の精神を説いた、いわば指南書に書かれた一文なのだが、この言葉を目にした瞬間、作り手と受け手の関係性を別の意味で真剣に考える転機となったのである。

この言葉は前述のAppleの製品にも言えることかもしれない。あるいはその手本となったBRAUNのデザインにも当てはまるのだろう。Less but Betterとどこかで通じ合う作り手と受け手の関係性。この言葉を真の意味で理解出来れば、周りに流されず自分だけの、もしくは真のデザインとは何かという命題に答えが出るのかもしれない、と今は本気で考えている。

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  • Oct. 10, 2016
  • © Suzuki Takeya