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  • Jan. 5, 2017
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ナーバスマトリクスのモナリザは微笑んでいたか(D1)

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1983年に突如として現れ、あっという間に当時の子供の娯楽を一変させた任天堂ファミリーコンピューター。男女なくクラスの連中が次々に購入していく中、僕が手にしたのはそれでも波に乗り遅れそうな頃合いの小学5年生時(1985年)だったと思う。駅前にある雑貨屋のような古ぼけたデパートに早朝から並んで買ったのを記憶している。当時はファミコン単体で購入出来ず、このご時世には考えられないことだが店側の都合で必ずソフトを一本合わせて買うよう、いわば抱き合わせでの販売が一般的だった。今でも覚えているがその時一緒に買ったソフトは懐かしの「バンゲリングベイ」。ボタンを押せば画面のキャラクターが反応し思いのままに操作できることは、思えば「どうにか世界と関わりたい」という子供ならではの欲求を大いに満たしてくれたんだと思う。小言を言う親もなく、近所の口うるさい大人たちもなく、命令口調の教師もいない、もしかしたらこの世界だけは自分が誰よりも上位の言わば神様になったような、そういう高揚感だ。

こんな風にして僕らの年代の多くはグラフィカルなインターフェイスを操るほとんど最初の当事者となった。

長じて中学に進学する頃、父親が仕事のために当時最先端(と言っていい)の民生用パソコンNEC謹製「PC-9801」を購入すると、僕のデジタルライフは一変することになる。無論団塊世代特有のアナログ第一主義だった父親にはそんなデジタルガジェットを使おうという意図もなく、結局何のために購入したのか分からないまま半ば僕の私物として扱われることとなった。5インチのフロッピーディスク、お年玉を握りしめて秋葉原の怪しいパーツショップで別途購入したオプションのFM音源、そのFM音源を鳴らすためのサンプルコードが多数掲載されていた電波新聞社のベーシックマガジン、MS-DOSにN88日本語ベーシック、ジャストシステムの一太郎と花子。ゲームで言えば線画のダンジョンに呪文はキーボードによる手打ちだったWizardly、今となってはもはや面影すらもない硬派な日本ファルコムの一連のシリーズ、終始引き抜き合戦になる光栄の戦略シミュレーションゲームなど、ほとんどその全てに熱狂しまた熱中したのだった。

結局のところ僕のファミコンライフは言うほどその面白さを享受することなく終わってしまっている。パソコンとの接点を早い段階で持ったことが果たして幸運だったのかどうか最早分かるべくもない。一世を風靡したドラクエも3までしかやってないし、ファイナルファンタジーも実は一作も遊んだことがなく、その後のスーパーファミコンだとかPCエンジンだとかの熾烈なハード戦争にもまったく興味が湧かなかった。大学受験の際に封印してからキャンパスライフを歩み始める頃にはまったく別のものに興味が移ってしまい、社会に出てさらに数年経つまでパソコンやゲームなどおよそデジタルと呼ばれるものすべてと無縁の生活を送ることになる。

だがこうした幼少期の画面デザインに対する記憶は、Webデザインが本格的に始まった頃にFLASHというツールでもって再び思い起こされ、何の障害もなくすんなりと受け入れることが出来た。コントローラーとキーボード、あるいはマウスといったデバイスの差でさえ、触れたものの変化を楽しむという目的に限って言えば何の弊害もなかったのだ。それは黎明期特有の混沌とした現象でもあるし、大袈裟に言えばかつて我々が興じたあのファミコンブームの再来だったとも言えるのではないか。

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  • Jan. 5, 2017
  • © Suzuki Takeya